心光寺の歴史

浄土宗のお寺
護念山 攝取院 心光寺
当山は寛永元年(1624)3月15日
圓蓮社秀誉栄玉和尚、檀信徒の協力で開基

大正12年10月1日第22世龍誉上人在世中に、原因不明の火災を生じ、本堂と観音堂が焼失。

その際、本尊「阿弥陀如来」(聖徳太子御作)
地蔵菩薩・安阿弥所造の弁財天(行基菩薩手作り)
その他仏像、宝物を類焼。

観音堂安置の本尊、十一面観音は,難を免れる。
その後、龍誉上人は本堂の再建につとめ、
檀信徒の協力を得て、昭和4年、当時としては珍しく、
単層ダイヤモンドトラス造、鉄筋コンクリート本堂が完成。

平成14年12月20日
大阪市指定文化財に木造十一面観音菩薩立像が登録

平成15年9月1日
登録有形文化財に本堂が登録

平成20年7月8日
登録有形文化財に山門一棟が登録

空に消えては是も亦、
行衛の知らぬ相思草、
人忍ぶ道草に、
日も傾きぬ急がんと、
又立ち出る雲の脚、
時雨の松の下寺町の信心深き心光寺

近松門左衛門作
「曽根崎心中 序 難波観音めぐり」より

木造十一面観音菩薩立像は、境内にあった観音堂に安置されており、
大坂観音巡礼札所の本尊であった。
頂上仏、化仏は欠失。頭上面は五面が残る。
制作年代は11世紀代と考えられる。
大阪33ヶ所観音巡り(江戸時代中期に定められる)
第26番 護念山 心光寺 観音霊場